人間を辞めて概念になりたい
西本喜美子さんの写真展に行ってきた。70歳ごろから写真を始め、自分で加工してるらしい。フォトショでかかれた写真はSFの昆虫みたいでオシャレだった。笑えなかったり不謹慎だったりする笑いは、そちら側から発信すると上手く作用するのかもしれない。人間味がなく、年を重ねたからこその趣があって羨ましい。
人間味は無くしたほうが楽だと気付いてから、自分のパーソナルなことは発信せず、各コミュニティの交わりをあまり作らないでいたら家がなく森に帰宅してそうだ、という評価をいただいた。ちょっと失敗しちゃったかもしれないが、はやく概念になりたい。
ここで言う「概念」とは神とかおとぎ話の登場人物とか高田純次さんとからカズレーザーさん。あの人だからで許されるようになりたい。これは「諦め」にもにている。
あともう一歩な気がするから理性の線をもう少しだけ踏み外そうかな。あちら側とそちら側の人の境には高い壁があると教えられてきたが、人によって高さは異なる。私のは肩ぐらいまである。木嶋佳苗さんと私の違いは、保険金目当てで殺せるか、殺せないか、壁を越えられるかそうでないか。
越えると犯罪はしないにせよ滅茶苦茶面白なれると同時に親が泣くのが目に見えてる。でも概念化したら、親もいなさそうだし実態がつかめないから誰にも迷惑をかけないからいいことだらけだ。やったー!
そんなことを考えつつ、今日も門限までに森に帰った。