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塩コショウみたいな死

大学三年生にもなると目新しいこともほぼなくなり、就活が始まり「死にたい」と耳にすることが増えた。 

 

マイナスのイメージがある「死」は、大人になった今“救い”として使われているような気がすると気づいた。ポジティブでもネガティブでも。

 

「死ななきゃ大丈夫」は鼓舞の言葉としてポジティブに使用され、「最悪死ねばいい」ネガティブではあるけれど唯一の救済として使われる。

文初の「死にたい」は自己嫌悪から派生したものだろうし、そんなに悪いことじゃないと思う。死んで救われたいのか、他者へのポーズなのか、自分で自分の尻をふくためのものなのかは分からないけど。

 小学校のころに「死にたい」なんて言ったら怒られたけど、もっと大人は口に出して救いを求めてた。滑稽~

2浪人した年上の後輩の「浪人中はずっとちょっと死にたかった」という言葉が頭から離れない。そんな塩コショウみたいに…と思ったけれど、そんなに重要なことでもないのかもしれない。ポジティブだし意外と重くない。「死」が「生」よりも身近なのかもしれない。自分は生きてるのに死のほうが身近って意味わからんけど、+よりも-の方が引かれるってことは自分が+ってことかもしれないな、なんてポジティブに考える。